EAさんに正気を求めるのは難しかったのかもしれない

自らの思い込みの激しさ、刷り込みの強さに

問題があることに気が付かずに、自らの正当性を

終始一貫して主張し、一抹の懐疑主義にも陥らずに、

激しく相手を攻撃する。己の誤りには全く気が付かない状態。

これが高ずると、「気違いに刃物」となる。

昨日、「気違いに刃物」に遭遇した。そこで思ったのは、以下だ。

意味sensesが異質なのに字面の同一性から何とかシンクロさせ

ようと試みることが噛み合わない議論を生じさせているのだから、

違い、相違に気が付かない人と論じても無駄だということだ。

問題issuesが生じたのは、以下のクイズだった。

https://virily.com/virily_quiz/haiku-haikai-quiz/?mref=263

問題になったトピックは「発句」と「切れ字」。

先ず「発句」について。

辞書ないし字義通りに行くと、5-7-5の最初の5、

ないし連歌ないし連句の最初の句の5-7-5-7-7。

英語圏俳諧ワールドでは、前者の意味ではなく、

5-7-5-7-7の方に限定されているそうだ。

クイズの提出者も前者の意味は入れていなかったが、

私の指摘に気がついてくれた。

次に、問題になったのは「切れ字」

芭蕉の句に 風流の初やおくの田植え歌  がありますが、

ここで、「初や」の「や」は「古池や」のやと違う。

「古池や」の「や」は切れ字だが、「風流の初や」の方の

「や」は係助詞。ところが、英訳では切れ字扱いされ、

以下のようになっている。

beginnings of poetry

the rice planting songs

of the Interior

(trans. Haruo Shirane)

日本語が分からない場合、英訳を頼りにすると、「や」が

切れ字と見做されてしまう羽目になりかねない。

切れ字ではないから、他の翻訳も当然あり得る。

英訳を基にして「初や」の「や」が切れ字になっていると

思い込んだEAさんは、極めて近視眼的だった。私のコメント

を読みはしない。精読したらと提言した私の言葉尻を取って、

前出のShirane-sensei訳は間違いだと言うのか!また注釈も

間違いだ言うのかと詰問。そんなことは全然言っていない。

しかし、眼に火が入っている、ないしは自らの正しさしか見えて

いないので私のコメさえ素通り。

問題の係助詞の「や」は古語。周りに古語を理解するノンジャパ

はいなかった。EAさんの暴走が続いた。

実のところ、Shirane-senseiの訳は推敲を重ねた上で出てきた

ものだ。敢えて切れ字にして係助詞と係の助詞を受ける「田植え歌」

を強調している。Shirane-senseiの注釈は読んでいないが、他の人が

注釈を書いてもさほど差がないだろう。

他の訳として次の二つを出してみた。

poetry in

the Deep North starts in

their paddy field songs

poetry in

the Deep North budding in

paddy field songs

結論

SNSの友人の一人SさんはYさんという「気違いに刃物」的御仁に

永らく執拗に付きまとわれていた。そもそもsensesの違いに気が

つかないYさんなのだと思われる 。He has never come to his sense。

そういうYさんにまともに諭しても暖簾に腕押しなのだ。